越境するコンピューター

越境するコンピューター

新しいコンピューターとの付き合い方 〜コンピューターと意思決定と人間〜

文系のための人工知能 〜前提知識ゼロから始める人工知能〜

最近人工知能ブームと言われてます。メディアでは連日のように人工知能間連の話題が取り上げられています、本屋に行くと「人工知能時代の〜」とか「AIが変える〜」とかいう本が平積みされています。

しかし一方「人工知能って何?難しそうで正直よくわからない」と言う声もよく聞くようになりました。

どうしてわからないのか?

これだけ情報が溢れているのにどうしてよく分からないという声が多いのか?

人工知能で世の中がこうなるという雑多な情報が溢れかえっていること、その一方で人工知能そのものに関する情報は専門的すぎて敷居が高いこと、の2つが理由だと私は考えます。

世に溢れる人工知能でこうなる情報

世に溢れる情報の多くが「人工知能で世の中どうなる」というもの。いろんな分野の著名な方々が人工知能で世の中こう変わる」と語っています。人工知能自体が理解できていない文系人間にはその語りが「その人の専門的な知識に基づいているのか?」「その人の個人的な意見なのか?」の区別がつかず、どれを信じていいのかわからないんです。

敷居の高い人工知能入門

「やっぱ自分が人工知能自体を理解しないとはじまらない、勉強しよう」と "人工知能入門" という題名の本を見つけて読み始めたとします。あなたが文科系の人の場合、数ページ目で難しそうな数式が出てきて挫折、というケースが多いと思います。世に出ている入門の多くがある程度の数学知識を前提としているので文科系にはとても敷居が高いのです。

わからなくてもいいのか?

「どうせ難しくて文系には理解できないんだから分からなくていい」という声も聞きます。

確かに万人が人工知能について専門家レベルの知識を持つことは現実的ではありませんしそこまで知る必要も無いと思います。

しかしみんなが『ある程度のレベルの理解』を持つことは十分可能ですし、人工知能というテクノロジーが今後有効活用されていくためには万人共通の『ある程度のレベルの理解』を造ることが必須であると私は考えます。私がなぜそう考えるかを2つのポイントで説明します。

人工知能の判断を鵜呑みにしないために

人工知能は「なんかすごいみたいだから」というだけでその判断を鵜呑みにしてしまうのは『お告げに従う』姿勢と大差ありません。人工知能がどんなに発展しようと最終的な決定を行うのは人間です。人工知能の出した判断を鵜呑みにすることなく、正しく評価するためには人工知能に関する『ある程度のレベルの理解』が必要です。これがあって初めて人工知能の有効活用が可能になると私は考えます。

人工知能を有効活用するアイデアを生むために

一般的にあるテクノロジーの専門家と、そのテクノロジーを活用する人は同じではありません。例えばテレビというテクノロジーの専門家だけではテレビドラマを作ることはできないですよね。人工知能も同じで、他の分野の人が人工知能というテクノロジーを活用することで、専門家だけでは考えつかないような大胆かつ素敵な活用方法が生まれてくると私は考えます。ただ全く理解できないものを活用することはできません。専門家以外の人が人工知能というテクノロジーを活用するためには人工知能に対する『ある程度のレベルの理解』が必要です。

どうやって『ある程度のレベルの理解』をするのか?

ここまで読んで「そんなことはわかってる、でもその『ある程度のレベルの理解』が面倒で難しいんだよ」と思った方も多いかと思います。

確かに文科系の人間にとって人工知能を理解するのはかなり敷居が高そうに見えます。これは人工知能という山への登山ルートが理系用に作られているためです。同じルートを登るのではなく、文科系用の登山ルートを登っていけばいいのです、そのルートでは理系のルートでは見えなかった景色も見えてくると思います。次回から私が今登っている文系用の登山ルートをご案内していきます。

 

 

 

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