越境するコンピューター

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新しいコンピューターとの付き合い方 〜コンピューターと意思決定と人間〜

AI都市伝説 暴走つみれ汁 〜AIが人類の脅威?ならイワシもやばい?〜

AIの暴走に警鐘を鳴らす意見、最近よく聞きますね

GoogleのAIが人間の囲碁名人に勝利した時には

囲碁というゲームの中でとはいえ、"自ら考え"、"独創的な手を生む"AIの登場には「暴走」への懸念がつきまとう』

もっともらしいと感じる方も多いのではないでしょうか?

では、これは?

『つみれ汁の中でとはいえ、他の素材と調和しながら"自ら主張"し、"独自の風味を生む"イワシには「暴走」への懸念がつきまとう』

こちらはほとんどの人が無理があると感じますね

何が違うのか?

イワシの場合

イワシがどういうものか?」みんなに共通の認識があります。

"自ら主張"、"独自の風味を生む" というのがイワシを料理に使うときの比喩表現だとみんなすぐ分かります。 なのでその後に "「暴走」への懸念" と出てくると強い違和感を感じます。

AIの場合

「AIがどういうものか?」実は共通の認識ってまだありません。

"自ら考え"、"独創的な手を生む" という表現の受け取り方が人によって違います。

AIという言葉からターミネーターのようなSF的なものを思い浮かべる人は?

"自ら考え"、"独創的な手を生む" を比喩ではなく額面通りに受け取るので、最後に出てくる"「暴走」への懸念" のくだりも違和感無いでしょう。

AIという言葉から現段階でAIと呼ばれるテクノロジーが実現できていることを思い浮かべる人は?

"自ら考え"、"独創的な手を生む" をAIと呼ばれているテクノロジーがやってることを擬人化した比喩表現にすぎないと受け取るので、最後に出てくる "「暴走」への懸念" のくだりにイワシ文書と同じくらいの大きな違和感を感じるでしょう。

AIの擬人化には気をつけよう

擬人化した表現は難しいことを直感的に分かりやすく伝えるのにとても役立ちます。

しかし、AIのような定義が定まっていないものを論じる時に使うと、受け手ごとに大きく異なる解釈が生じる可能性があるので注意が必要です。

ちなみに、ターミネーターのようなSF的なAIはこの世に存在しません。

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